2005年10月

20代最後の日

05.10.27(木)
 いよいよ20代最後の日です(といっても、先ほど気がついたので書いてみたまでですが)。
 20代から解放されることがとてもうれしい。20代はひたすら取捨選択なく外部からさまざまな情報をとりこんで整理、形式と内容のどちらも同時並行に、バランスよく進めなければいけなかった10年だった気がします。人間関係なども含め。
 もちろん今となってはよかったと思えることばかりですが、当時としてはしんどいことも多かったというのが実感です。何事もキャパを広げるときには無理が必要ですが、その連続だった気がします。今後もべつになくなるわけではないのですが。
 30代ということに意味を持たせるなら、そういったとりこみ作業を若干取捨選択しつつ、OUTしていかれる時期のように思えます。
  そして、20代最後に押し寄せた、この怒涛の艱難辛苦が終息に向かっていくことを祈るばかりです。以上、オチなし。

寒い日の朝の紅茶

病院のシーンや人が死ぬ場面、危篤の情景などはまだドラマや映画などのフィクションでもだめらしい。そのときの匂いや感覚、音がよみがえってしまって、リアリティが上回ってしまう。痛哭。たぶんまだ時間がかかる模様。
人はディテールの集積でその連続体、そのひとつひとつが散逸してしまう死がやはり不思議でなりません。
今朝、自宅で紅茶をいれているとき、実家で父が一度使ったリプトンのティーパックがもう一回分飲めるように、ポットの近くに置いてあったことを思い出す。それでいれようとすると、きみは新しいのを使えばいいよ、それは僕が飲むから、と必ず声をかけてくれたことを思い出す。穏やかな日々に繰り返された情景。そういったものがどこにいってしまうのかわからない。わたしが忘れればすべて消えてしまうのか、そうでないのか。 続きを読む

引用10/16

本棚にある任意の一冊から引用。

* * *

 名前のないひとりの娘が並木道を歩いている。顔のない娘が町を歩き回っている。彼女はもう生きていくことを知らない。彼らがやってきて、また連れて行ってくれるのを待っている。
 わたしは先を急いでいない。ぶらぶらし、通り過ぎ、引き返し、また進み、向きを変え、半回転する。ショーウィンドーに映った自分を眺める。パン屋。小さなリンゴのタルト、チョコレートのエクレア、いちごのガレット、オレンジのトリアングル、金色のメレンゲ。唇をショーウィンドーに押し当てる。わたしはお菓子を食べる。人はいつもそこへ戻っていく。摂取すること、飲み込むこと、やたらに食べること、むさぼり食うこと、詰め込むこと、がつがつ食べること、食い尽くすこと。ウィンドーのガラスの破片は、とっても冷たい。喉に残るし、消化が悪い。ガラスは声帯を切り刻み、唖者にする。死ぬ言葉。
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